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福岡高等裁判所 平成5年(う)96号 判決 1994年8月24日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中四〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人提出の上申書と題する書面(控訴趣意書と認める。)及び控訴趣意補充書(二通)並びに弁護人伊藤祐二及び同古賀康紀連名提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官大栗敬隆提出の答弁書に記載されているとおりであるからこれらを引用する。

第一  憲法違反の論旨について

所論は、要するに、<1>被告人の本件各犯行についての自白は強制、拷問等により得られたもので憲法三八条二項に違反し証拠とすることができないものであり、<2>警察官の被告人に対する浦上警察署への連行は任意同行の限界を逸脱した実質的逮捕であったのに、これを看過して発付された逮捕状による逮捕は憲法三三条に違反しており、<3>被告人が身柄拘束を受けた後、弁護人選任の希望を無視され、弁護人に対し通知もしてもらえなかったのは憲法三四条に違反し、<4>警察官が被告人を拷問したことが憲法三六条に違反し、<5>被告人がいわゆる代用監獄に勾留されてしばしば深夜に及ぶ長時間の取調べを受け、またポリグラフ結果に関し虚偽の事実を告げられるなどして自白を強要されたことは憲法三八条一項に違反し、<6>原判決が原判示第一の事実につき刑法二〇五条二項を適用しているのは憲法一四条一項に違反する、というのである。

しかしながら、右<1>ないし<5>の論旨は、要するに原判決には違法な捜査手続によって得られた証拠、又は任意性のない自白を記載した調書を証拠とした違法があり、刑事訴訟法三七九条の訴訟手続の法令違反があるとの主張であり、<6>の論旨は、違憲の構成要件を適用した違法があるから、刑事訴訟法三八〇条の法令の適用の誤りがあるという主張に尽きるので、以下、それらの項において検討を加えることとする。

第二  訴訟手続の法令違反の論旨について

所論は、要するに、原判決は、任意性のない被告人の自白調書を証拠としているから、判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違反があるというのである。そこで、原審記録を調査し、所論に鑑み検討を加える。

一  任意同行が実質上の逮捕であるとの主張について

所論は、要するに、警察官の被告人に対する浦上警察署への連行及び逮捕状執行までの時間は任意同行の限界を逸脱した実質的逮捕であるから、その後の一連の身柄拘束は全体として違法の評価を受け、その違法状態下での自白は任意性がないというのである。

そこで検討するに、関係証拠によれば、平成三年(以下、特にことわりのない限り、平成三年を指す。)四月五日午後七時一七分ころ、長崎市城山町所在のスナック「淳」の経営者竹下カヅ子(以下、「竹下」という。)が死亡している旨の一一〇番通報がなされ、直ちに長崎県警浦上警察署の警察官が現場及び被害者の見分並びに現場周辺地域における聞き込みなみどの捜査を開始したが、死体の傷の状態、現場の状況などから、スナック「淳」を訪れた者が、竹下を殴打するなどの暴行を加えて死亡させたものと推認されたこと、警察官は竹下の関係者等に連絡をとり事情聴取を開始したが、竹下の長男である被告人の所在が明らかでなく、同人の妻の入院先にも訪れた様子がないうえ、事件がマスコミによって大きく報道され、関係者が警察に駆け付けるなかで、被告人からなんの連絡もなく所在不明の状態が続いていたことから、警察は、被告人が本件に関係するものとして嫌疑を抱くにいたり、被告人が使用している乗用車の登録番号を手配するなどして被告人の行方を捜していたこと、こうしたなかで、四月六日午後二時三〇分ころ、長崎市内の路上で警察官山下智(以下、「山下」という。)らが被告人使用車両(以下、「被告人車両」という。)を発見し、これに捜査用車両を接近させて職務質問を実施しようとしたところ、突然被告人が車両を発進させて一方通行路を逆行して対向車と接触、停止したので、被告人の身元を確認したうえで、浦上警察署への同行を求めたところ、被告人がこれに応じたので、捜査用車両に同乗させたこと、被告人は浦上警察署玄関前で再び逃げ出そうとしたので、山下は被告人の腕を掴むなどして制止して取調べ室に同行したことがそれぞれ認められる。これに対し、弁護人は、被告人が対向車と接触して停止した後、警察官らは「逃亡したので逮捕する」などと言って手錠をかけて無理矢理連行したもので、被告人が浦上警察署玄関前で逃走を図ったことはないなどと主張し、被告人も原審及び当審においてこれに副う供述をしている。しかしながら、任意同行に応じないで逃げ出したことが犯罪とならないことは明らかであって、警察官らが逮捕するとして手錠をかけたとは考え難いし、山下は、原審公判廷において、右事実を明確に否定しているうえ、被告人を任意同行するに至った経緯に関する供述も自然であり、浦上警察署玄関前において、被告人の腕を掴んで制止したことなど、不利となるような事実をも供述していることなどを併せ考えるとその信用性は高いというべきである。これに反する被告人の供述は信用できない。

そうすると、警察官らが、本件事案の内容に照らして、市街地の路上において事情聴取することは適当でないと判断して、被告人に対し浦上警察署まで任意同行を求めたことは適切な処置というべきである。また、浦上警察署玄関前で被告人が逃走しようとしたのを制止した点についても、本件の重大性や被告人と被害者との関係、被告人のそれまでの行動など当時の状況を考慮すると任意同行に伴う有形力の行使として許容される範囲を超えた不当なものということもできない。

また、所論は、被告人が任意同行を求められた時から、逮捕状が執行されるまで、約一一時間経過しているのは違法であるというのであるが、その間に、警察官らは、被告人から事情聴取し、被告人立会の下に被告人車両の捜索差押をなすべく準備をし、その発付を得て執行し、その結果、血痕付着のおしぼり、靴下を発見し、被告人の嫌疑が濃厚となったことから、逮捕状の請求手続を執っていたのであって、本件が重大な事案であること、被告人に対する嫌疑の程度、被告人の態度などの事情を総合考慮すると、右取調べが社会通念上任意捜査として許容される限度を逸脱したものであったということはできない。

二  弁護人選任権侵害の違法があるとの主張について

所論は、要するに、被告人は、身柄を拘束された当初から、取調警察官の山田則正(以下、「山田」という。)らに対し、特定の弁護士らを指名して連絡をとるように要求していたが、山田らはこの要求を無視して一切の連絡をとらず、被告人の弁護人選任権を不当に侵害したものであり、かかる違法な状態下で得られた自白は任意性がないというのである。

しかしながら、関係証拠によれば、被告人は裁判所の勾留質問や検察官の取調べの際に、何度も弁護人を依頼する機会があったのに、被告人が特定の弁護士に連絡するように申し出がなされた様子は一切窺われない。所論に副う被告人の原審における供述は採用できない。

三  被告人の自白は、取調官による連日長時間の取調べ及び暴行、脅迫を受けたためになされたもので任意性がないとの主張について

所論は、要するに、被告人は、浦上警察署において四月一〇日以降、警察官の山田及び谷口から本格的な取り調べを受けていたが、その際、日常的に暴行を受け、特に自白調書が作成された同月一三日に加えられた暴行が最も強力なものである。すなわち、山田らは、被告人を取調室内の床に押し倒し、被告人の体に馬乗りになるなどして約二〇分間にわたり、殴る、蹴るなどの暴行を加え、また、被告人の体を抱え上げて取調室から屋上の上がり口まで連行して「屋上から突き落す、被告人が屋上から落ちて死んでも誰も自殺したとしか思わない」などと脅迫し、その際の暴行などによって右眼の瞼部分を中心にどす黒く腫れ上がる程の傷害を受けたほか、当日着用していた緑色柄物長袖シャツ(以下、単に「本件シャツ」という。)のポケットが破れ、左袖が取れて外れてしまったほどであって、被告人の自白は、右暴行、脅迫により強要された結果得られた虚偽のものである。検察官による取調べの際には暴行、脅迫を受けたことはないが、右取調当時も被告人は浦上警察署の留置場に留置されており、浦上警察署における暴行、脅迫による威圧のもと、被告人は警察に対する供述と同様の供述をしたにすぎないから、被告人の自白は任意性を欠くというのである。

そこで検討するに、被告人は原審及び当審公判廷において、右主張に副う供述をしているところ、関係証拠によれば、医師北村修は、浦上警察署からの依頼で、四月一八日、被告人を診察したところ、被告人の右眼の上下瞼の周辺部が変色し皮下出血し、眼球の結膜が充血しやや腫脹していると診断していること、眼科医の河野峰子は、浦上警察署の依頼を受けて四月二〇日及び同月二五日の二度にわたり被告人を診断し、被告人の右眼について、打撲による球結膜下出血及び眼瞼皮下出血と診断していること、また、被告人の所持品である本件シャツを見分すると、同シャツの左袖は肩の部分から外れ、ポケットも破損していることがそれぞれ認められる。

しかして、被告人は、右眼周囲の負傷が取調官の山田などから受けた極めて多数回にわたる暴行の証左である旨主張するが、どのような経緯から右眼を殴打されるに至ったのか必ずしも具体的な説明をしないうえ、北村医師は、被告人を診察した結果、本件右眼の負傷が表面の平滑なもので打撃したもので、その回数は一回程度のものであり、被告人の問診及び身体の動作等を見た限りでは、右眼以外の顔面及び四肢に負傷を受けたと思われるような異常は認めなかった旨証言しており、被告人が主張するような四月一〇日ころから、一三日以降も連続して、毎日のように顔面を数回殴打され、腹部背部等を多数回にわたり足蹴などされたとする痕跡は認められないこと、また、被告人は検察官や右北村医師や河野医師に対し、右眼周囲の負傷の原因について自損事故であると話していたことなどを併せ考えると、警察官らから右眼瞼部を手拳で強打された旨の被告人の供述はにわかに採用できない。

そして、被告人は、当初、警察署の屋上まで連れていかれて脅されたと主張していたのに、その後、屋上の入り口までしか行っていなかったと供述を変え、右眼の負傷の診断経過についても、当初、「右眼の負傷については、失明すれば暴行の証拠となると思い、医師の診断を断った」旨供述していたが、前記北村医師及び河野医師の証人尋問が終了した後の公判廷においては、「自供したとされる四月一三日に負傷した右眼の診察を要求したが、一八日の北村先生の診察まで診察してもらえなかった」旨供述を変遷させるなど、警察官らから受けた暴行脅迫の時期、程度、状況等について縷々供述した後に、検察官から被告人の供述と相容れない証拠を示されるなどすると、何ら合理的理由もなく変遷を重ねており、被告人の取調べ状況に関する供述は信用性を認めることは困難というべきである。

これに対し、山田は、「被告人は、取調べの当初からあいまいな供述に終始し、真偽を追及されるや、最終的には四月一三日まで待ってくれとの返答を続けていたこと、一三日に至ってもなおも具体的な供述をしないので、一三日には本当のことを話すといっていたではないかと説得すると、被告人は竹下を死亡させるに至った犯行について供述を開始したので簡単な調書を作成したこと、その後、被告人に対し、新宮千代美(以下、「新宮」という。)が行方不明になっていることについて詰問したところ、被告人は、急に動揺して立ち上がって逃げようとし、椅子に腰紐でくくり付けられていたため、椅子に躓いたように机の左側に前のめりになって倒れ込み、そこで机の左隅の角付近で右眼のあたりを打ち、体を仰向けにさせて床に倒れ込んだまま暴れだしたので、谷口と一緒に被告人の手足を押さえて制止したこと、その後被告人が、新宮を殺害して死体を遺棄したことを自供したので調書を作成し、新宮の死体を遺棄した現場について簡単な図面を書かせて説明させ、午後一一時過ぎころ、被告人を連れて、右死体の発見及び確認のため署を車で出発した、その出発に際して、被告人の着ていた白色トレーナーの背中が床に倒れて暴れた際に汚れたので、着替えさせた。」旨供述している。

所論は、山田の右供述は信用できないというのであるが、右山田の供述は、捜査段階における被告人の供述経過や捜査状況とも符合しているうえ、右眼の負傷についても、河野医師の「机の角付近で眼の付近を打っても、瞼の上下に皮下出血ができるような状態になる、眼の上の方を打っただけの状態でも、重力で段々下の方に血が広がってくる」旨の証言と合致していること、被告人が突然暴れ出したことについても、重大事件を敢行した被疑者がその事実を自供するに当たって相当の興奮状態に陥ることはありうることなどの事実に照らせば、その信用性は高いものというべきである。次に、本件シャツの破損について検討するに、原判決が指摘するとおり、関係証拠によれば、四月六日に実施された被告人車両の実況見分時においては、被告人が本件シャツをセーターの下に着用しているが、同月七日午前一一時に撮影された被告人の写真や同月九日午前九時ころに撮影された被告人の写真などからすると、そのころには同じセーターを着用するものの、その下に本件シャツを着用していないことが認められる。山下は、四月六日に被告人を浦上警察署玄関前で車両から降ろした際、被告人が、同行した相勤者を突き飛ばして逃げようとしたため、被告人の左腕付近を掴んで制止したところ、被告人の着用していたカーデガン様のセーターの袖が脱げそうな程に伸びたので、服を破ってしまったかと思ったが、上着は破れていなかった、その下に着用していた衣類についてまで破損の有無を確認しなかった旨、また、留置係警察官古川輝政は、同月七日午前二時過ぎころ、逮捕した被告人を留置場に入房させる際に被告人の身体検査を実施し、上に着ていたセーターを脱がせたところ、その下に着用していたシャツの左袖が破れて取れかけていたので、留置場内の危険防止のため、当該シャツを被告人から預り、保管用ロッカー内に保管した、右当該シャツは現在押収されている本件シャツに間違いない旨原審においてそれぞれ証言していることに鑑みると、本件シャツは、四月七日の時点において既に破損していたものと推認することが相当であるというべきである。

所論は、浦上警察署玄関前において、被告人が逃げ出したのを制止したという山下の供述は不自然で信用できないというのであるが、被告人の当時の行動からすれば、捜査車両から降ろされた際に逃走を図ったことは十分考えられることであり、山下が被告人を制圧した状況についても特段不自然な点はないから、所論は採用できない。

また、所論は、四月七日に被告人を留置した時点で、物品出納簿には、クシについては破損していたとの記載があるのに、本件シャツが破損していたとの記載がなく、胸ポケットの破損についてはなんら供述していないから、古川の供述は信用できないというのである。しかしながら、物品出納簿に記載がないからといって直ちに破損していなかったということはできないし(古川は、規則では、衣類の破損状態を記載するという明確な規定がなく、個々の警察官の判断で書いたり、書かなかったりする旨供述している。)、胸ポケットは、袖を引っ張っても破損することがあるし、その破損について供述しなかったことが直ちにポケットに破損がなかったことにもならないから、古川の供述に信用性の欠けるところはない。

その他、所論が山下及び古川の原審供述について論難する点は、独自の見解に立つもので採用の限りでない。

以上、被告人の供述と取調官の供述を対比し、関係証拠とを総合的に検討すれば、取調べにおいて、被告人に対し、暴行、脅迫その他の強制が加えられた状況ないし事実を窺わせる証拠はないというべきである。

四  被告人が虚偽の事実を告げられて自白したとの主張について

所論は、要するに、被告人は、自供に至る四月一三日の前にいわゆるポリグラフ検査を受けていたが、取調官の山田から検査結果に陽性反応が出た旨の虚偽の事実を聞かされ、いわば偽計によって自白が強要されたものであるから、自白には任意性がないというのである。

しかしながら、山田は右事実を明確に否定しているうえ、原判決が指摘しているように、被告人は、原審公判の最終段階になって、初めて本件主張を始めたものであって、被告人が本件訴因について当初から全面的に争い、暴行を受けたなどとして自白の任意性及び信用性を主張していた審理の経緯に照らすと、所論は到底採用の限りではない。

五  結論

以上の次第で、被告人の捜査段階における自白には、その任意性があるものと認められるから、右自白の内容を記載した供述調書を証拠とした原判決にはなんら訴訟続きの法令違反はない。論旨は理由がない。

第三  事実誤認の論旨について

所論は、要するに、犯人と被告人の同一性を肯認して有罪と認定した原判決には、信用性のない自白を証拠とするなど、証拠の取捨選択を誤ったため、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

しかしながら、原判決挙示の各証拠を総合すれば、原判決の罪となるべき事実を優に認定でき、原審で取り調べられたその余の証拠及び当審における事実取調べの結果によっても右認定を覆すに足りない。以下、所論に鑑み説明を付加する。

一  尊属傷害致死事件について

関係証拠によれば、四月五日午後七時一五分ころ、長崎市城山町所在のスナック「淳」の店内奥八畳間において、経営者の竹下が死亡していることが判明したこと、竹下は右顔面及び右側頭部をこたつ台に載せ、背中をテーブルの角辺りにもたれかけた状態で倒れ込んでおり、顔面左側に赤紫色の痣が認められ、左眼の下は黒ずんで膨張し、鼻孔から出血し、下方に垂れた状態で血液が凝固していたこと、こたつ掛け布団、テーブル及びカーペットに血痕(いずれも血液型O型)が付着しており、部屋の奥の隅に歯牙が四本ほど散乱していたこと、また、四月六日になされた解剖鑑定の結果、死因は頭部、顔面への鈍力の作用に基づく右硬膜下出血(血腫)であること、死後解剖着手時までに二日ないし三日経過していたこと、竹下の血液型はO型であること、同死体に存する主な損傷としては頭部、顔面の損傷及び歯牙の欠損のほかに胸腹部及び背部への鈍体による狭圧作用によると考えられる左右肋骨の多発骨折並びに胸骨骨折が、四肢にも鈍体の作用によると思われる多数の損傷がそれぞれ認められ、これらは他為的に成傷された可能性が大きい旨推測されたことが、それぞれ認められる。以上の死体発見の経緯、死体の損傷状況によれば、スナック「淳」を訪れた何者かが竹下に暴行を加えて死亡させたことが明らかというべきである。

一方、四月八日付実況見分調書及び同月六日付の捜索差押調書などの関係証拠によれば、被告人車両のトランク内から、血痕の付着したおしぼり等三枚、血痕の付着した靴下一足等が存中する手提げ紙袋が発見、領置されたこと、右おしぼり等や靴下に付着した血液はいずれもO型の人血で竹下の血液型に合致し、おしぼり等に付着していた毛髪が竹下の頭髪に類似していること、被告人が本件当時着用していたセーターの袖口やズボンの裾に付着していた血液も竹下の血液型と合致している旨の鑑定がなされていること、また、四月二二日に被告人の右側頸部には右上方から左下方に向かう長さ約一・三センチメートルの線状断続性の表皮剥脱等が認められたこと、右損傷は軽微なものであるが、黒褐色痂皮を伴うことから受傷後一か月以内の傷であること、竹下の左母指及び左中指の爪から被告人の血液型と同型のB型の血液が検出されていることがそれぞれ認められ、以上によれば、被告人が竹下を死亡させたことが強く疑われるところである。

しかして、被告人は、四月七日に逮捕されるや、当初はあいまいな供述をしていたが、同月一三日に至り、竹下を殴打などして死亡させたことを認める供述をなし、その後、犯行に至る経緯、動機、犯行態様その他の状況、犯行後の状況、証拠品の説明等について詳細な供述をするとともに、実況見分に立ち会うなどしたこと、そして、右自白の内容は、竹下の傷の成傷などの客観的証拠と概ね合致し、被告人が竹下に暴行を加えるに至った動機は、預けていた現金のうち三〇万円が不足しているとして詰問したところ、同女から居直って言い返されたことに激昂したというもので、被告人が新宮から合計二七〇万円の現金を借りていたことは被告人も否定せず、警察の捜査によっても裏付けられているところ、竹下が三〇万円を費消した事実は直接証拠により裏付けることはできないが、被告人車両のトランク内から現金合計二四〇万円が発見領置されたことなどを併せ考慮すると信用性が高いというべきである。

所論は、被告人の右自白は信用性がなく、被告人は、四月三日午後七時前ころ、スナック「淳」に赴いたところ、店舗奥和室において、既に竹下が怪我をしており、口などから出血していたもので、その血を拭いたおしぼり等を持っていたにすぎないというのである。

しかしながら、被告人は竹下の出血状況について、当初、「かなり出血していた」旨供述していたが、何故に適切な処置を講じなかったのか疑問を呈されると、「おふくろの出血はたいしたことはなかった、竹下は病院に行かなくてよいと言った。」などと供述を容易に変遷させているうえ、本件おしぼり等に付着していた血痕の状態からするとかなりの出血があったことが窺われ、死体解剖の鑑定書によれば、竹下のいずれの損傷も同一時期、同一機会に成傷されたものであり、また、前記認定の現場の状況及び死体の状況からして、同女の損傷は、かなり強度の暴行によって成傷されたものと推測させるのであるから、竹下が重傷を負っているにもかかわらず、たいしたことはないなどと返答するとは到底考えられない。また、被告人は、店で使用するおしぼりを持ち出したり、その後、怪我の状態を心配して、スナック「淳」を訪れることも連絡をとろうとしたこともないなど、その行動は、極めて不可解であり、竹下の左手爪から被告人と同型の血液が検出されていることについて、被告人は合理的説明をしていない。そうすると、被告人の公判廷における供述は到底信用することができないというべきである。

また、所論は、動機に比して本件暴行の態様が強烈すぎるというのであるが、関係証拠によって認められる被告人の性格や、竹下が生前に被告人から強烈な暴行を受けた旨親類等に話していたことなどを考えると、特段に不自然とはいえないし、その他、被告人の自白が不自然であると縷々主張する点は、前記認定の事実と対比すれば、なんら不自然な点は認められない。所論は採用できない。

二  殺人事件について

関係証拠によれば、四月一四日午前二時四〇分過ぎころ、長崎市樫山町内の道路側溝内で新宮の死体が発見されたこと、当日の解剖の結果、死因は頸部圧迫による窒息死であり、死後解剖時まで五日ないし一〇日間くらい経過していたことが認められるところ、死体の状況等から、新宮は何者かによって殺害されたことが明らかである。

一方、関係証拠によれば、新宮は当時、被告人と愛人関係にあったものであるところ、被告人車両のフロントガラス内側に、上方から下方にかけて履き物で擦ったような三本の痕跡が、後部座席中央やや左側に、ルミノール反応の滴下痕が、また運転シート半カバー背もたれ部の助手席側面に血痕の付着がそれぞれ認められ、右血液は、B型Hp2―1型であって、新宮の血液型に一致している旨鑑定されていること、さらに被告人車両のルームミラーに足あと痕が印象されており、新宮が右足に履いていた靴と同種で底の部分も類似するものと認められると鑑定されていることが認められ、これによれば、右車内において新宮に対し暴行が加えられ、同女がこれに抵抗したことが窺われる。しかして、新宮の死体は、四月一三日に実施された実況見分の経過及び取調べ経過からも明らかなように被告人の自供によって初めて発見できたものである。

以上によれば、被告人が新宮を殺害したことが強く疑われるところである。

しかして、被告人は、四月二六日本件殺人事件で逮捕されるや、以降一貫して新宮を殺害したことを認め、犯行の動機、殺害の状況、方法、死体遺棄現場の確認等の詳細な供述をし、いずれも前記客観的事実に符合し、信用性が高いというべきである。

所論は、被告人の自白が信用性がないと主張し、車内の血痕付着状況について、被告人は以前新宮がパンを食べていて八重歯で唇を切って出血し、ティッシュでこれを拭いて後部座席に捨てる際に付着したものであるなどと弁解するが、客観的な血液付着状況に照らし到底信用できるものではないし、また、殺害場所、殺害時期、ルームミラーの外れた原因についての自白が不自然であると主張するが、前記認定事実を左右するものではなく採用の限りではない。

また、所論は、新宮は他の誰かが(警察官の可能性もある)殺害して遺棄したものであり、警察官は、事前に死体遺棄現場を知っていたなどと主張する。しかし、関係証拠によれば、本件死体遺棄現場は荒れ地の畑の中を走る人車ともに通行の少ない市道であり、死体は道路から一見しては確認できないこと、死体遺棄現場に案内するに際し、被告人は何度か違った方面を指示し、その都度警察官らを誤った場所に導いていることなどを併せ考えると、警察官らが事前に死体遺棄場所を知っていたとは到底考えられない。所論は到底採用できない。

以上によれば、原判決には事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

第四  法令の適用の誤りの論旨について

所論は要するに、原判決は原判示第一の事実につき刑法二〇五条二項を適用しているが、尊属に対する傷害致死につき他の一般の者に対する傷害致死より刑を加重している同規定は、法の下の平等を規定した憲法一四条一項に違反するので、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の適用の誤りがあるというのである。

たしかに、刑法二〇五条二項は、被害者と加害者との間に存する特別な身分関係に基づき、同じ類型の行為に対する同条一項よりも刑が加重されているので、差別的取り扱いと一応はいいうるところである。しかしながら、合理的根拠があれば、差別的取り扱いが許される場合があるところ、立法趣旨に鑑みれば、尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二項の定める法定刑は、合理的根拠に基づく差別的取扱いの域を出ないものであって、憲法一四条一項に違反するものとはいえない(最高裁判所昭和四九年九月二六日第一小法廷判決、刑集二八巻六号三二九頁参照)。論旨は理由がない。

第五  量刑不当の論旨について

所論は、要するに、被告人を無期懲役刑に処した原判決の量刑は不当に重いというのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、本件は、被告人が実の母親に暴行を加えてこれを死に至らしめ、その後、同棲していた女性に右犯行を察知されるや、自己の犯行を隠蔽するために同女を殺害し、その死体を遺棄したという事案であるところ、被告人が右一連の犯行を決意するに至った動機、犯行の態様、結果の重大性、犯行後の状況、遺族の被害感情、被告人の性格、公判廷における態度などの諸般の情状については、原判決が「量刑の理由」の項において詳細に判示しているとおりである。

すなわち、被告人は、妻の病状が末期的になったものの、ほとんどその看病に当たろうともせず、一方で、新宮と同棲し、無為で怠惰な生活を送りながら、妻の看病や自己の生活保護費の保管等についても実母の竹下に依存していたところ、妻の葬儀費用に充てようと預けていた金員の一部を竹下が費消したとして激昂し、同女に暴行を加えて死亡させ、さらに、同女に対する犯行を敢行した際、付近路上に駐車していた被告人車両に新宮を待たせていたが、同女から竹下が死亡したとのテレビニュースについて問い詰められ、新宮に自己の犯行を察知され、同女との関係が破綻するにとどまらず、同女から自己の犯行が他に発覚することを恐れて、これを殺害したうえ、人気のない道路側溝にその死体を遺棄したものであって、本件各犯行の動機は、まことに自己中心的な性格に基づくものであり、なんら酌量すべき点を認めることができない。

次に、本件各犯行の態様について見るに、尊属傷害致死事件においては、被告人は、竹下の頭部、顔面をはじめ胸部、腹部など人体の枢要部を含むほぼ全身に対し、殴打したり、足蹴にするなどの暴行を加え、さらにテーブル等に頭部を強打させるなどして硬膜下血腫により死亡させたものであるが、竹下の死体の損傷状態及び現場の状況などからみても、極めて強烈な暴行を多数回加えたものと推認され、老齢で小柄な実の母親に対する所業としては常識では考えられない、まことに残虐な態様と言わざるを得ない。しかも被告人は、犯行直後に同女がまだ生きていることを認識しながら、何ら適切な処置を施すこともなく、同女をそのまま放置したものであって極めて悪質というほかはない。また、殺人事件等においては、被告人は、新宮を殺害しようと決意するや同女を車で送るように装って、駐車場に駐車していた被告人車両の助手席に同女が乗り込むや否や、同女の首を両手で掴んで絞め上げて、頸部圧迫により窒息死させたうえ、殺害後、死体を隠すため人気のない山道まで同女の死体を運び、側溝内にこれを隠匿、遺棄したもので、確定的殺意に基づく計画的な犯行である。以上本件各犯行の態様は、終始自己の身勝手な思考態度から自己の意の赴くまま、他人の生命、身体を全く考慮しないという憎むべき態度で貫かれているといわざるをえない。

被告人の犯行により、二つの尊い人命が失われ、その結果は極めて重大であるが、特に新宮にはなんらの落ち度もないのに無残に若い生命を断たれたものであり、また、竹下も、たとえ、被告人のいうように被告人から預かっていた金員の一部を費消した事実があったとしても、激しい暴行を受けて死に陥れられるようないわれは全くないといわねばならず、遺族の被害感情も強いものがある。

被告人は原審公判段階に至って、全面的に否認に転じ、極めて不自然かつ不合理な弁解に終始し、反省、悔悟の情が全く認められない。

以上に加えて、被告人には強姦罪等の前科が六犯あることや、日ごろの生活態度などを総合すれば、被告人の刑責はまことに重大であって、尊属傷害致死が偶発的な犯行であること、捜査段階では犯行を自白し反省していたことなどの記録に現れた被告人に有利な情状を考慮しても、原判決の量刑が不当に重いということは到底できない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中四〇〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

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